(株)リフォームダイレクトの小笠原 功二とは?

「東日本大震災の被災地」町が津波の被害を大きく受けた宮城県岩沼市に生まれ。

製紙会社の工場に勤める父と専業主婦の母、 4 つ違いの兄と 4 人家族。父が勤める製紙工場の社宅の団地で暮らしていまして、憧れのマイホームを夢見る、ごくごく一般的な家庭だ ったと思います。

1080×600

私が5歳のころ、私たち家族はたった「1日で」 不幸のどん底に落ちました・・・

父と母は、念願のマイホームを新築中で、毎日出来上がる家を楽しみにしていました。 新築の家に災難が無いように行われる「上棟式(じょうとうしき)」の数日後、お昼まで元気だった父が「突発的な脳の病気」で、突然亡くなりました。

 泣き崩れている母、病院の冷たい椅子、大人たちがこわばった顔で話している姿・・・

どうしていいのか分からず、兄と 2 人、怖くてただ、ぶるぶる震えていた事だけは鮮明に覚えています。

悲しみに暮れる間もなく、母は私たち兄弟を食べさせて行かなくては!と、毎日無理をして 体を壊しながらも、なりふり構わず働いて、女手一つで育ててくれました。

泣き出したい事もあったと思いますが、ひもじい思いをさせまいと、父の代わりにもなって、暮らしを支えてくれました。

ai

地震で家が...

幸い家だけは最後まで出来上がり、父が私たちに最後に残してくれたものが「家」でした。 この家は、私たち家族が唯一ホッと安心できる「心のよりどころ」でした。 学校中で「母子家庭」は私だけ、家だけはありましたが、正直裕福ではありません。 新築だった家も、昭和 53 年の「宮城県沖地震」に襲われ、家の壁や塀に、子供ながらにも 「・・・これはどう考えても危ない!」と思う大きな亀裂が入り、それを機に「雨漏り」や サッシや玄関がゆがんでしまい、隙間風が入ってきて家は日増しに傷んでいきました。

でも・・・男手がなく細々と生活している我が家では、金銭的にも壊れた家を治すことができませんでした。


母子家庭だから、「だまされるのではないか?」「知らない怖い人におどされたらどうしよう?」 社会的弱者の我が家は、修理の人を呼ぶこともできず、ずっと壊れたままで我慢していました。 いつも、恐怖と不安におびえて生活していたのです。

ai

プライドは子供の頃に捨てました...

小学校 6 年生の作文で、なりたい職業は「大工の社長」と書きました。傷んだ家を自分の手で直した かったのです。 (私がリフォーム屋になった理由です!) 田舎の工業高校を卒業し、家計の負担を減らすためにも、私がいない方が母は楽かと思い、18 歳で 一人東京に出てきました。就職先を決めた理由は、「社員寮」があって住み込みで働けることだけ。

寮費は 5 千円。時代は「平成」になっていましたが、東京で「たった家賃 5 千円」で住めて働ける ありがたい所は、私が単身飛び込んで就職した場所以外ありませんでした。


「深夜の労働」「粉塵がマツ毛に降り積もる過酷な現場」「汚くて、臭くて、危険な仕事」・・・ 誰もが嫌がる仕事でも、食べていくにはプライドなど捨てて、何でも選ばずにやってきました。

ai

そのおかげで、家やマンションの「普段は見えない配管などの構造」がわかるようになり、工事現場で「プロの職人の仕事」を見て 覚えることができたのです。 現場仕事が終わってから、リフォームに必要な国家資格を取るために勉強。学生の時より勉強したと 思います。


そして、電気・ガス・水道工事の国家資格をはじめ、リフォームするために必要な資格を 取得し、今では傷んだ家のお風呂やキッチンの交換工事でも、大工工事や内装工事、家のことなら何 でも出来るようになりました。


念願だった母が住む実家も、ゆがんだ窓や玄関を直し、手すりの設置、床の張替えや設備機器の交換、断熱性に優れたものを使い、幾度となく 自分の手で直してあげるという、幼い頃からの夢をかなえる事が出来ました!

ai

そんな矢先に・・・

私生活では、当時仲良くしていた妻と結婚!2 人の息子たちに恵まれて、父の存在を知らない私が父になり、4人家族になれたことがうれしくて、子供たちとカードゲームを本気でやったり、行事ご とには出来るだけ参加して、子供たちの成長を目に焼き付けてきました。

仕事は、まだ子供たちが幼い頃に独立!とにかく休まず働いてきたので、いつか私が倒れるかと 思っていたら、まさか!妻が大病してしまい、手術と入院治療で4か月以上も入院生活になってしま いました。

妻がいないと何もできない情けない私・・・ 

心配で心配で仕事に身が入らず、暗い顔で口数が少なくなり、人生が悪い方向に向かっていると思える日々、このままではすべてが台無しになると思い、人生最大の危機を乗り越えるために、今起きている最大の問題に一点集中しようと覚悟を決め!


 「会社が倒産してもいい!」「家を手放すことになってもいい!」と思い、会社は休眠・仕事は一時中断!

思い切って4か月以上会社を休み、 毎日病室で戦っている妻に面会に行き、10分でもいいから顔を見せて、私なりに全身全霊で毎日毎日妻に会いに行き、寄り添い・励まし、お洗濯物をもっていっては

話を聞いて「淡々と1日1日こなしていくしかないね!」と言い合い

寄り添い続けました。


ai

妻がいつ家に帰ってきてもいいように、寒い時期でしたので、断熱性に優れた内窓の設置(2重サッシ)、床暖房も、浴室暖房機も自腹で設置、妻が退院する前までにコツコツと作り上げ、退院後は少しでも暖かく過ごせるようにと、思いつく事は全て改装して妻の退院を待ちました。

おかげで妻は無事復活!その後も何度も入退院を繰り返しましたが、家族全員で支え切ることができ 家の大切さ・家族のありがたさを痛感しました。

会社はギリギリ倒産こそ免れたものの、大赤字で貯金は底をつき、お金がなくて厳しい生活になりましたが、妻が帰って来てくれたから、裕福でなくても毎日の何気ない会話が楽しく、一緒に戦ってきた戦友の様に以前にも増して家族全員が仲良くなりました。


仕事も妻の為に行ってきた、家の断熱リフォームや水回りの工事が少しづつ増えてきました。

ai

国の政策が転機に!

毎年記録的な暑さ・寒さが更新され、地球温暖化が仕事にも影響を与え始めました。

妻のためにリフォームした、暑さ寒さを解消するためのリフォームには、当時、1円も補助金は出ませんでしたが、 今は国を挙げて光熱費の高騰対策・健康寿命を延ばして、健康で安心して暮らしていけるように、家の断熱リフォーム工事に とてつもない高額の補助金が出ることを知り、衝撃が走りました!


今まで私がやってきた事と、日本が直面している温暖化対策と、健康寿命を延ばそうという政策、光熱費の高騰対策、が一本の線でつながったのです! これなら今まで自分が妻や家族の為に経験してきた断熱リフォームを、お客様にも自信をもって工事することが出来る!


補助金申請は難解で面倒ですが、私が窓口になって申請してあげれば、お客様が補助金をもらえないリスクを回避できる!

家の「暑い・寒い」を無くして、健康寿命を延ばし、心豊かに暮らしていただけるようにリフォームするのが私の仕事!

断熱リフォームで日本の家と心を温かくするのが私の使命だと気づいたのです。


ai

今では、子供たちは独立し、妻と二人の生活に戻りましたが、何気ない毎日の生活こそが幸せだと 毎日ありがたみを感じながら、心が温かくなる仕事をしています。


私は今までつらい経験の方が多かったかもしれません。


しかし、その経験から、家は心のよりどころであり、 家族と大切な時間を過ごす、心豊かに暮らせる場所なので、夏暑くなく冬寒くないにプラスして、節電になり、結露も減らせて、防犯対策にもなる断熱リフォームで、あなたの悩みや不安解消のために、損得勘定なく協力することが出来ます。

couple

私が心に決めている3つのこと

私は、昔お金がなくて家を直せなかった事、どんな人が来るのか解らず怖かった事、「だまされるのではないか?ぼったくられるのではないか?」いろんな心配をしていた自分の体験から、今リフォーム屋として初めてお客様に接するのにあたり、心に決めていることがあります。
それは・・・


①自己紹介で、私という人間を少しでも知って安心してもらう事(昔おびえて生活していたため)
②補助金が使えるのであれば、申請費用は無料で奉仕し、積極的に使えるように尽力する事
③家の細かな事でもいいから、どんなことでも話を聞いて、これまで培ってきた知識や技術で一つでも多くの悩みを解決する事。

を徹底しています。


リフォームは自分と家族の事を思い、計画・実行する「愛」の行動です


奥様・子供たちの為、親や孫の為、自分の為、一緒に暮らす犬や猫などの家族の一員の為に、リフォームをしようとする考えには、単に老朽化したから新しいものに変えるだけではなく、「愛」がこもった物なので、そのお気持ちを十分理解した上で、私も自分の家族の為に行ってきたように、あなたのリフォームも、真心こめて、誠実な工事で喜んでいただきます!!

ai

最後に...

私が皆様に伝えたいこと

1920×1440
社長メッセージ
小笠原流のリフォーム

私は超零細会社です。

他の会社と決定的に違うところは、最初の打合せや見積もり・リフォームが出来上がるまで、 全て小笠原が担当しているので、いつでも連絡がつき、一生担当者が変わらないところです。

そして、長年の経験から、家の事で出来ない事は、ほぼありませんので、何でもこたえられる点です。

お客様とのお付き合いは長く、家の困り事は、小笠原に声をかければ何とか解決してくれる。

そう感じて下さるお客様が多く、お客様も聞く窓口が一つなので楽だと思います。

お客様と会社の責任者が直接やり取りすることで、伝達ミスや施工不良を排除し、「お客様とダイレクトに接することが出来る仕組み」が小笠原流のリフォームです。 (社名:リフォームダイレクトの由来です)

現在、東京都多摩市に23年在住、趣味は魚釣りとコーヒーを生豆から自家焙煎し、おいしいく淹れる事! 現場帰りに高速に乗り、生まれ故郷の東日本大震災で甚大な被害にあった宮城県岩沼市の被災地に野宿してボランティア活動!

2024年1月の地震被害に見舞われた、能登半島の一番地震被害の大きかった能登の最先端 「珠洲市」にて、泊まり込みボランティアで、仮設住宅にお住いの方々に 涙ながらに喜ばれました。

座右の銘は 「目は高く・心は広く・腰低く」

内なる闘志は熱いが、腰が低い筋金入りのリフォーム屋

(株)リフォームダイレクト 代表取締役 小笠原 功二 おがさわら こうじ